「自由」について
自由という言葉に皆さんはどのようなイメージをもっていますか?
「束縛からの解放」
「自由奔放」
「勝手気まま・・・」
人間が本来求める欲望であると同時に
「あいつは自由すぎるよな」
と言われるように自由な言動は時に周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買うこともあります。
この「自由」という言葉、本来は仏教用語だったんです。
私も禅を学ぶまでは知りませんでした。
英語のFreedom、Libertyを福沢諭吉がどちらも「自由」と訳したことから
現在の「自由」のイメージができあがりました。
そもそも仏教用語としての「自由」とはいったいどういう意味だったのでしょう?
仏教用語の「自由」とは
「自(おのず)からに由(よ)る」という意味です。
もう少しわかりやすく言うと
「自らを拠(よ)り所とする」ということです。
周囲の目を気にし過ぎたり、他人の意見に左右され過ぎたり
何を信じたらいいのか、自分の軸を見失うことはだれでもありますよね。
でも真の「自由」の境地というのは
自分を拠り所とする、すなわち自分の中にある「本当の自分」を軸にすることなのです。
「自由」についていろいろと紐解いていくとブッダの遺言に辿り着きました。
弟子たちがブッダに寄り添い、最期の教えを乞うた時にブッダはこう言いました。
「自灯明(じとうみょう)」
「法灯明(ほうとうみょう)」
ブッダはこの二つの言葉を発しました。
2500年に渡り、人類の多くが研究し、関心を寄せ、信仰しているブッダの言葉。
ブッダの教えはこの二つに集約しています。
「自灯明」とはまさに「自らを拠り所とせよ」という意味。
ブッダは弟子たちに対し、自分(ブッダ)のことですら「頼りにするな」と言い放ち
「自らを拠り所とせよ」と言ったのです。
「答えはお前の中にある。本当の自分を信じて生きよ」と言ったのです。
これこそがまさに「自由」という言葉の真の意味だったのです。
次回は「自由に生きる」ことが自由奔放、勝手きままにならないために
ブッダが添えたもうひとつの言葉「法灯明」について書きたいと思います。